■(オリジナル)ライナーノーツより■ ●時間を旅する 今でも鮮やかに想い出す光景がある。 1980年の5月のことであった。私たちは中国タクラマカン砂漠の緑を走る西域南道のオアシス・ホータンを取材していた。 そのホータンの町の昼さがり気温はすでに40度に近く、この時間のオアシスは動く人とてない、みんな暑さを避けて家に閉じこもってしまっているのだ、砂漠の太陽が照りつける町の大通りは、犬の影さえなく、午前中の雑踏が嘘のように静まり返っていた。天を撫すポプラの大樹の葉ずれが僅かに聞こえるばかりである。 動いているのは、仕事を拘えた私たちシルクロード取材チームの面々だけだ。カメラの録音機などの重い機材を担いで、私たちは熱射病寸前の目まいをこらえながら、トボトボと歩いていた。 その時、通りの端、ポプラの樹が蔭を落としているところに、それを見つけたのである。 はじめは道端に大きな袋のような荷物が、置き捨ててあるのかと思った。ところがそうでわなかった。こんもりと砂から盛り上がった大きな包み、なんとそれはみんな人間だったのである。 タクラマカン砂漠の砂は、砂というよりパウダーのように細かい土の微粒子である。それは粉雪よりももっと軽い。その土の微粒子が静かに降りつもり、あるいは水が流れるように路面を流れて、道端に吹き溜りをつくっている。 人びとはその土の吹き溜りに身体の半ば以上を埋め、顔だけを覗かせた恰好でぐっすりと眠りこけているのだった。肩に担いでいたらしい振り分け荷物を枕にしている老人もいれば、殆んど素裸の少年も寝ている。お互いに寄りかかって眠っている二人連れもいる。みんな土の中に身体をまかせきり、そのひんやりとした冷たさを楽しんでいるのだ。あるともない風に、老人の長い髭がそよぎ、それは時がとまったようなオアシスの風景だった。 日本でだったら、彼らの姿は浮浪者にしかみえないだろう。しかしこれは、何百年も続けてきた彼らのもっとも自然な午睡のとり方なのだった。彼らは道を歩いていて、昼どきになれば、その場でコロリと横になって、土の懐ろの中で一番暑い時間をやり過ごすのである。そしてふたたび起き上って目的地に向って歩き続けるのだ。急がず慌てず、自然に逆らわない生き方を、この土に埋もれた睡眠者たちは、無言のうちに主張しているのだった。 ここには、今の日本とは全く異質な時間が流れている、と思った。異質というよりも、私たちが見失ってしまった時間、といった方が正確だろうか? シルクロードを取材することは、時間を旅することでもある、と私は思っている。それは時間を、単に遡るころではなく、私たちが見失った時間とめぐり会うための旅であるという意味においてである。私たちが取材を始めて以来、このシルクロードシリーズが多くの人々の関心を得ることができたのも、こうしたいわば ゙シルクロード時間″の不思議な懐かしさが、人々の琴線に触れるところがあったからだと思う。 ●壮大な旅ふたたび 1979年から80年にかけて中国領シルクロードを取材した私たちは、2年間の準備期間をおいて、今ふたたびシルクロードの旅を再開した。中国領以西の道を最終目的地のローマまで、第一部の中国シルクロードの道に数倍する空間と、そして勿論時間へのはるかな旅である。 今度の道も又様ざまなコースに分れる。第一部中国編の最後のシーンとなった中国・パキスタン国境、大パミール山中のクンジェラブ峠からパキスタン・インドへ抜ける仏の道、パキスタンから西へ、アフガニスタン、イラン、イラク、シリアなどの砂漠地帯をいくオアシス・ルート、そして中ソ国境からソ連領中央アジアを走破するステップ・ルートなどである。 第一部の中国シルクロード取材のときには、相手国は中国一ヶ国だけであった。今度は取材対象国は14ヶ国にものぼる。しかも戦争をしていたり、内乱状態にあったり、複雑な事情を抱えている国が多い。そういった国ぐにの、とりわけ敏感な地帯、国境を次つぎに突っ切っていこうというのだから話は難しい。準備期間の2年の大半は、そうした取材を可能にするための折衝に費やされたのである。 パキスタン側から、中パ国境のクンジェラブ峠にいった外国人はいない。パキスタンの為の地質調査を、パキスタンと合同で行ったイギリスの調査隊も、許可証を持っていながら結局途中で車からおろされてしまった。 弘法大師が高野山に伝えた密教の原形がそっくり残っているといわれる幻の仏教王国、インドの秘境ラダックは、インド・中国の国境に近いカラコルム山中にあり、外国人を受けつけない。 イラン・イラクは戦争を行っており、この両国を自由に取材することは困難を極める。とくにイランでは、゛戦時下立法″によって取材した映像の持ち出しが厳しく制限されている。 全てのフィルムはイラン国内において現像し、係官の厳しい゛チェック″を経た上でなければ国外に持ち出すことはできないのだ。これは使用フィルムの種類の違い、現像設備の信頼性などを考えると、ほとんど取材を断念せざるを得ないほどの厳しい条件である。 これらをひとつひとつ解きほぐしていった。パキスタンでは、ハク大統領自身の最終判断で、クンジェラブ峠取材が許可された。インドでもカシミール、ラダックへの立ち入りと自由な取材が認められた。 イラン政府は、NHKシルクロード取材班に対して、例外的に撮影フィルムの未現像ノーチェック持ち出しを認めた。 こうして政治的な壁を突破しても、行く手にはさらにシルクロードの苛酷な大自然が待っている。 五千メートルを越える高地での取材。雪崩れ、土砂崩れ。零下30度の酷寒の世界。逆に40度を越える炎熱の砂漠・・・ 克服する困難が大きいほど、みのりは豊かになる。さらなる西の世界を目指す私たちの旅は、収穫の手応えのたしかさを感じながら、一歩一歩、ローマに近づいているのである。 そして嬉しいことに、この旅の伴侶は、第一部に引き続いて今度も、喜多郎の音楽だ。 ●喜多郎のこと 喜多郎の音楽には、不思議なことに、私がホータンのオアシスで感じた、あの゛異質な時間″が流れている。 喜多郎の音楽が響きわたるとき、荒涼の砂漠に古之のキャラバンの隊列が甦えり、死に絶えた遺跡に、ふたたび生気が吹きこまれる。 その喜多郎が、大パミールを越えて、さらに大きく羽ばたいた。 このアルバムには、シルクロード第二部の最初の四本及び1月3日放送、゛壮大な旅ふたたび、などを飾った喜多郎の音楽が収められている。 第一集「パミールを超えて」(パキスタン) 第二集「覇王の道」(パキスタン) 第三集「玄奘・三蔵・天竺の旅」(インド) 第四集「秘境ラダック」(インド) 1979年、中国シルクロードの旅ではじめて喜多郎に出会ってから早いものでもう五年になる。今、喜多郎の音楽に再会してみて、ほっと安堵のようなものを覚えるから不思議だ。 第二部においてさらに拡がった時間と空間の中を、喜多郎は自在に飛翔し、たゆたい、想いを凝らしている。そこからつむぎ出される゛音″が、徹頭徹尾肉体的な労働でしかない私たちの゛取材作業″を、ある高みに導き、おし拡げてくれる。 私たちが撮影するシルクロードは、20世紀の、今日ただ今の、風景でしかない。しかしその風景の背後に充?された時間の大きさが、私たちの真の撮影対象なのである。その見えない対象を、喜多郎の音楽がとり出してくれるのだ。 仏法が辿った道、覇王アレキサンダーの道、そして名もない人々が、物を、心を運んだ道。 長安・ローマ一万三千キロ。テレビ史上初めての、この壮大なシルクロード全走破を、私たちが完遂するとき、喜多郎も又、古今未曾有のシルクロード曲集を、完成させることになるだろう。 この先の長い道のりが、恐しくもあり、楽しみでもある。 NHKスペシャル番組部 シルクロード・プロジェクト チーフ・プロデューサー 平尾浩一
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